昭和50年代の話です。
当時、私達が通っていた地区には医大があり、ある年検診の要望が学校に来ました。
検診の目的は成長に関するデータ集めだそうで、小学校4年生から中学3年までの6年間同じ生徒の追跡記録を取るという事で、県の教育委員会を通じて県内数校の小、中学校に協力の要請があったそうです。
後で知ったのですが、医学目的の為と説明し両親の同意書も書かされました。
県内各校から数名、毎年3月、3学期の終わりに同じ男子20名女子20名前後だったと思います。
大学に集められて検診を受けました。
私が選ばれたのはただ単に小学4年の時に学級委員だったからだそうです。
私ともう1人男子もやはり学級委員になった中沢君が選ばれました。
しかし、中学生にもなるとその検診の内容が堪らなく恥ずかしいものだと理解出来る様になっていたので嫌で嫌で仕方なく、男子の中沢君にしても同じだったと思います。
医大での診断は、小学校の時は踏み台昇降や反復横とび肺活量といった運動テストのようなものと、体重・身長といった身体測定が行われ、午後からの半日ほどで終わりました。
しかし、中学になると検査項目が増え、ほぼ丸一日診断に費やされました。
中学になるとまず男女全員教室の様な所に集められてアンケートのような物を書かされます。
男子は精通、女子は初潮があるかとか、陰毛は何時頃から生えてきたかとか、それが終わると男女とも着ている物全て脱いで支給された衣類に着替えます。
と言っても、渡されるのは薄手のベージュ色のガウンと白のショーツのみ。
しかもほとんど一日中検査があるのでガウンを着ていられるのは昼食の時だけ。
それ以外は男女とも上半身裸に下着1枚で過ごします。
着替える時もそうですが、検査の時も男女間を遮るのは申し訳程度の布で出来た衝立だけ。
しかも検査官が自由に行き来出来る様に2メートル近く間隔があり、何の役にも立っていません。
中学2,3年にもなると身体つきはほとんど大人と同じです。
それなのに、ショーツ1枚で踏み台昇降や反復横飛びをやらされました。
すぐ目の前にいる男性の医大生らしき検査官には私達の胸やお尻が晒されているのです。
しかも、検査官だけでなく検診の間中ひっきりなしにたくさんの人が見に来ます。
中には半裸で運動をする私達の写真を撮って行く者もいました。
午前中の運動テストが終わると午後からは身体測定、やはりショーツ一枚で体重、身長、胸囲や聴力、視力まで検査します。
その後内科検診を受けますが、その最後に全身検査(そんな名前だったと思います)では全員ショーツまで脱がされ、全裸で目盛りのついた壁際に立たされ、全身を前後、左右から撮影、その後胸やお尻や下半身、背中といった箇所のアップ写真を撮られました。
男子の場合撮影時にアソコが大きくなってしまった人がいて戻るまで待っていたので撮影が長引きました。
(衝立なんて飾りで2、3メートル向こうには全裸になっている女子の私達が丸見えなので仕方ないのかも知れません、逆に言うと私達からも男子の様子は丸見えでした)撮影が終わり最後に面接です。
5人ずつ1組になって集団で行われます。
やはり全裸のまま審査官の前まで歩いて行き、気を付けの姿勢のまま質問を受けます。
質問をする検査官は5人ほどなのですが、その周りにはたくさんの人それも男性ばかりが集まっているのです。
質問はあらかじめ書かされたアンケートに沿った初潮の時期や生理の周期、症状といった内容、その後は私達5人を横に向かせたり後ろ向きにさせたりして、去年に比べ◯◯さんの胸は大きくなったとかお尻がどうとか、「◯◯さんと××さん、横に並んで立ってくれますか?」
と言って2人を並べ、胸とか下半身の発育の違いについて写真を撮ったり批評をしたりします。
皆顔から火が出そうなくらい恥ずかしい内容で、しかも衝立の向こうの男子にも声と隙間からその様子は筒抜けです。
その時集められた生徒は県内各地から集められたらしく、その時にしか会う事はありませんでしたが、皆学校の代表として集められたので成績優秀で可愛い子が多かった印象があります。
私と一緒に選ばれた中沢君とも中学卒業以来会っていません。
しかし、6年間お互い裸を見られていた筈なのですが私も彼もその事を人に言う事はありませんでした。
多分今でもその医大の研究資料としてその時の写真や記録は残っているはずです。