ぼくが中学の時、隣の家の犬に吠えられ、石をぶつけた事から母の生活が変わりました。
そこの住人はチンピラで因縁をつけられて、母はそのチンピラと深い仲になったのです。
父はアメリカ北部やカナダの貯木場を頻繁に視察に行くため、ほとんど留守がちだったので、最初は夜中に来ておまんこして帰っていましたが、そのうち朝まで見かけるようになり、ついには1日中いてまるで夫婦のように生活するようになりました。
ぼくは学校から帰ると風呂を沸かす役です。
準備ができると男と母が一緒に風呂に入っておまんこします。
ある日その男が別の男を連れて来ました。
母は「はじめまして」と丁寧に挨拶をしていましたが、ぼくは大きな男だったので怖くて黙って自分の部屋に入ると母から呼ばれて、「ちゃんと挨拶しなさい」と怒られたのを覚えています。
その夜、その男はうちに泊まり母とおまんこしました。
ぼくが中学3年の頃から母は夜、隣町のバーに勤めに行くようになりました。
夜はぼく一人の生活がしばらく続きました。
持つ手が震えたのを覚えています。
バー勤めが始まって、昼間に家に客の男が頻繁にくるようになりました。
昼過ぎに学校から帰ったりすると居間のカーテンが閉まっている時は、間違いなく玄関に男のくつがあって、母のうめき声が聞こえていました。
いちばんショックだったのは、ぼくが好きだった叔父が兄弟で家に来て、母とおまんこしていた時です。
家に帰ると叔父がふんどし姿で居間に座っていて、ぼくの顔を見ると、いきなり怒り出して、帰ってくるな!と言われたんです。
ぼくはショックで裏の空き地に逃げていましたが、母の姿が見えないので勝手口からこっそり覗くと、叔父の弟が母とおまんこをしていたんです。
叔父はカメラを構えて、しきりにシャッターを切っていました。
ぼくが高校になってますます母の異常ぶりはエスカレートし、チンピラの入れ知恵で、ぼくの上級生の不良ともおまんこするようになりました。
新聞配達のバイトをしていた上級生が朝ぼくの部屋の隣の部屋をゆっくりと開け、奥の部屋から母が出てくるのがわかります。
うちは田舎なので隣の家とはかなり離れており、裏は雑草が生い茂った空き地で、さらにその下は川がながれていました。
朝っぱらから隣の部屋や空き地で母と上級生は、おまんこします。
ぼくは、たまにそれをこっそり覗いてはオナニーしていました。
当然の事ながらやがて母は不良達の公衆便所になってしまいました。
田舎の駅のそばには畑の間に荒れ地があって茂みができています。
ある日ぼくは学校帰りに不良上級生に捕まってしまい、母に伝言をするように命令されました。
買い物帰りにその荒れ地に来るように伝えました。
気になって買い物から帰る母を自転車でつけると、母は買い物カゴを下げて命令どおりにそこに向かって行くのが見えました。
ぼくはそれを見届けて先にうちに帰ったのですが、気になってまた歩いてそこへ行きました。
茂みの中で裸の母がしゃがんで、うめき声を出しながら上下に動いていました。
取り囲むように不良達が4~5人いましたが見つかると怖いのですぐ帰りました。
そして母が帰ってきたあと、またそこへ行き、散乱したチリ紙を拾って、匂いをかぎながらオナニーしました。
ある日、夜中に母に起こされました。
訳もわからず隣の部屋にゆくと、部屋にはタバコの煙で雲海ができていて、男が4~5人いました。
母に、その男達に挨拶するように言われて挨拶すると、一人の男が「お前のかあちゃんは俺達と今からおまんこするから、ちゃんと見とけ!」みたいな事をドスの効いた声で言われました。
ぼくは、こわくて逃げたかったのですが、なんと腰が抜けてしまって動けなくなり、次々に男とおまんこする母を呆然と見ていました。
ぼくはやがて母の留守に家探しをするようになっていました。
金が入っている引き出しから少し抜き取って先輩の友達に渡した事もあります。
写真を近所にばらまくぞ!と脅されたからです。
その友達と母のおまんこ写真でした。
ばらまかれる事よりも殴られるのが怖くて盗んだんです。
母に伝言を命令されたのにそれを伝えずに、あとで袋叩きにされた事があります。
両手を2人に押さえられて、正面からモーションをつけて顔を殴られ前歯を折りました。
不良の事は母も知っていて前にも話した事があり、「あんな不良とは付きあっちゃダメ」と言われていたので、歯を折った事情を問いつめられた勢いで話してしまいましたが、母の返事は「あんたもああいう逞しい青年にならないとダメよ」でした。
学校帰りに見知らぬ高校生に呼び止められて「かあちゃん呼んでこい!」と言われた事もありました。
家の前でもすれ違ったりとか、山から農道を降りてくるバイクの後に母が載っているのを見かけた事もありました。
母の裏本を見つけてからは、母が買い物に出掛けた僅かな時間にも家探しするようになってしまいました。
8ミリフィルム、ビデオテープ、ポラロイド写真、カセットテープ、チンピラと仲良く写った写真、なにやら怪しい雑誌、あちこちから探し出しました。
いつ母が帰って来るかわからないスリル満点の状態の中で、まるで宝探しをしているようなノドが乾くような楽しい気分でした。
よくビデオテープや本の数が増えたり減ったりしていました。
タイトルは殆ど覚えていませんが、ビデオテープのラベルはきちんと印刷されたもので、価格が35000円だったのを覚えています。
何本かあって全部は見れませんでした。
見ている時に急に母が帰ってきて、慌てて止めた拍子にデッキの中に詰まってしまい、母の目を盗んで無理矢理こじ開けたのでデッキが壊れたんです。
それまで2本くらいは見たでしょうか。
所々の内容は覚えています。
とにかく大勢の男達の相手をさせられていました。
髪をワシ掴みにされてちんぽこを口にグイグイ押し込まれ、嘔吐しながら目を充血させていたり、仰向けに寝てる男が2人並んでいて、一人に跨って腰を振り、手では隣の男のちんぽこをしごく。
やがて母は「いきますっ!」と叫び同時に男に下からグイと腰を持ち上げられ中腰になり、ビチビチ音を立てながら激しく挿入され、やがて男も「オラッ!オラーッ!」と声をあげ射精しました。
弓なりになって仰け反りながら母のおまんこを突き上げていた男は腰を下ろすと母も挿入したまま腰をおろし虚ろな目をしていると、カメラの手前あたりにいる見えない男から「オラ!さっさとしろ!」と命令され、ゆっくりと立ちあがると、おまんこから精液をドロドロ垂らしたまま隣の男のちんぽにゆっくり腰をおろし、これでいいのか問いかけるような目でカメラの方を見てまた腰を振り始めました。
チリ紙に包んでタンスの一番下の引き出しを抜いた所に隠してあった、叔父と叔父の弟とのおまんこ写真はインスタントカメラで撮ったもので、殆どは布団の上やぼくの部屋だとかでおまんこしているものでしたが、その中の1枚に海の見える丘のような場所で、すっ裸の母の両脇にズボンのファスナーから勃起させたちんぽこを出した叔父達が立っていて、母はそれを両手で握りしめて股をおっ広げてしゃがみ、おしっこしながらカメラ目線でニタついている写真がありました。
ぼくはそれを見た瞬間後ろから頭を殴られたような衝撃と同に、無意識に声が出て勃起する暇もなくバンツの中で精液を漏らしていました。
ぼくが高校3年の頃、父は病気で入院しました。
そして大手術をする事になりました。
その頃の母は、チンピラの友達の男と仲良くなって男は時々うちで寝泊まりをしていました。
母もそれまで病院に付き添いで通っていて、その男の車で送り迎えしてもらってました。
手術の前日に母と話して、一緒に病院に行こうと決めたのですが、手術の朝、母と2人で支度をしていると、元のチンピラが3人か4人くらいの男達を連れてきました。
玄関で随分長く話をしていたので聞き耳をたてていると、男がしきりに何かを出せと説得していて、母はそれを断っています。
そうするうち男達は居間に上がり込み、部屋に戻ってきた母はぼくに「ちょっと部屋に入ってなさい」と言ったので、ぼくは部屋に戻って聞き耳をたてました。
母が居間に来た様子なので、居間とぼくの部屋の間仕切りの板ににこっそり開けておいたのぞき穴から覗きました。
母は自分の裏本とか、自分のおまんこビデオとかを持ってきたのでした。
母はスカートを捲られたりしながら男達としばらく話していましたが、病院に行くから・・と私の部屋に来たので男の車に乗って病院に行きました。
病院で手術前の説明を聞いて、ベッドで移送される父を見送って待合い室に行きました。
待合い室に、さっきの男がまた来ました。
母はすぐに男についていき、しばらくして、母が戻ってきて「用ができたから手術が終わったら叔父さんの家に泊めてもらいなさい」と言うので、昼過ぎに無事に終わったとの連絡を受けて、ICUを覗いたあと歩いて帰りました。
でも叔父とは会いたくなかったので叔母に「友達の家に泊めてもらうから」とウソの電話をして4K程の道を歩いて帰りました。
夕方近くに家に帰り着くと玄関は沢山のくつで散らかっていて、居間は男達の声で騒々しい。
ぼくは、気づかれないように部屋に入り、のぞき穴から居間を覗きました。
薄暗い部屋では8ミリフィルムが回っているようで、部屋が急に明るくなったり暗くなったりていて、男達は酒盛りをしていました。
母は酌をして回っているようでしたが、時々くすくす笑う声が聞こえるだけで、男達の間に入っていたので姿は見えませんでした。
母は台所に行ったり来たりしていましたが、そのうちに誰かが明かりを付けて部屋が明るくなり、母が皿を持って居間に現れました。
母は頭にバスタオルを巻いて、上半身裸で腰に小さなエプロンだけを付けていました。
手前の男に酌をする母が後ろ向きに見えた時です。
揺れる花が見えました。
母の尻穴には花が差し込まれていたんです。
尻穴から10センチほど茎がのびていて、花をゆらゆら揺らしながら中腰で酌をしていました。
父が生死の堺をさまよっている事よりも大事な母の急用とは、真っ昼間から初対面の男達に自分のおまんこフィルムを見せながら酒盛りの世話をし、尻に花を差さされたまま酌をして回る事だったんです。
ある日、ぼくが学校から帰る途中で母とすれ違い、今夜は遅くなると言うので、また家捜しを始めましたが収穫はなく、仕方がないので、もう見てしまった母のおまんこ写真をまた取り出して自分の部屋に持ち込み、5つぐらいに分けて包んであったちり紙の折り目を崩さないように気を付けて全部出しました。
しまう時も、置場所を間違えないように気を付けなくてはなりません。
同じ男は1枚だけ、それも男が母を後ろから抱えるようにして男のちんぽが母のおまんこに深々と突き刺さっている写真だけを選んでベッドに10枚程広げました。
それらのおまんこ写真に順番に顔を近づけて舐め回すように見渡しながらオナニーしていました。
すると居間から、居るはずのない母のうめき声がし始めました。
ぼくは息を殺して覗き穴から覗くと、たった今、写真でしげしげと見つめた男がそこにいました。
いつか来た隣町の不良が、上がり込んでいて居間のビデオデッキで母のおまんこビデオを見ていたんです。
ビデオに夢中でぼくが帰って来たのを知らないのか「すっげぇ・・すっげぇ」を連発しながらオナニーしています。
ぼくは恥をかかせてやろうとトボけて居間のドアを開けました。
でも不良は別に驚きもせず、ぼくに言いました。
「お前のかあちゃんスゲエなぁ」
ぼくはその不良にダビングをせがまれましたが、断るつもりが一番怖い不良の名前が出てきた途端に縮み上がってしまい、タンスから金を盗みビデオデープを買ってきてダビングして渡してしまいました。
母のおまんこフィルムはデッキの操作が解らない(と言うか、やってて途中で止まってしまい、煙が出たのでコンセントを抜いてフィルムを調べたら、1コマが溶けてしまってたので、こりゃヤバいと思ってヤメたり、明かりに透かして見ようとしたが、リールを落としてしまいフィルムを元に納めるのに苦労した)ので、ついに見れずじまいでしたが、ビデオの方は、結構見ました。
でも構成というか、ワンパターンな物が殆どでした。
最後は必ず、射精が済んだ男が母のおまんこからちんぽを抜き、精液が逆流する場面のドアップでおしまい。
ただ面白かったのは男のちんぽにも色んな形があると思ったこと。
包茎ちんぽ。
片方に極端に曲がったちんぽ。
母がベタ惚れだった最初のチンピラのちんぽは、実物を見たことがあるし、ビデオで見てもやはり立派。
尻穴に射精する場面では3Pでやってて、チンピラが母の尻穴へ射精が済んで、ちんぽを抜いたら、すぐさま母のフェラで射精寸前になったもう一人の男が、チンピラのデカイちんぽのせいで、恐ろしい位にぽっかり穴を開けたまんまの母の尻穴めがけて精液をポタポタ落としました。
歯磨きのチューブをしごくかのように、男はちんぽを何回もしごき、最後の一滴までちんぽから振り落としました。
そしてチンピラは、母の顔を覗き込んで「入れるぞ」と言いました。
母は真下からチンピラを見上げて、頷きました。
それを見てチンピラは、母の尻穴あたりにぶち撒かれた精液を母の体の奥に押し込むように、ちんぽをゆっくりと根本まで刺しました。
母は、体をくの字に折り曲げられているので男達の様子が丸見えで、チンピラが最後に刺した瞬間、顔を歪めて「あーっ」と声を上げていました。
たくさんの方から「本当か?」というメールを貰い、今更ながら母の異常ぶりを実感しています。
もっと詳しく書けと言われても、たとえば居間の様子は小さな覗き穴から見える範囲だけだったし、ビデオ以外は遠くからチラチラ覗いたりしている事が殆どだったので、詳細を書こうにも書けません。
ある年のお盆、ぼくは母と2K程先にある祖母の墓に、墓参りに行きました。
少し涼しくなってから・と日暮れ前に出掛けました。
墓地に着くと、みんな線香や花を持って洗い場と墓とを言ったり来たり、久しぶりに田舎に帰ってきた人と再開して、話に花を咲かせている人達とかで賑わっていました。
ぼくは何もせず、回りの景色を眺めているだけで、母は、花を替えたり墓石を洗ったりしていました。
すると男が一人、母の横に寄ってきました。
母は辺りが薄暗いせいか最初はその男が誰なのか分からない様子で顔を覗き込んでいましたが、知り合いの男だったらしく、母は男と立ち話をした後また墓の手入れを始めました。
男は時たまぼくに話しかけたりしながら母の方ばかりを気にしていて、なかなかその場を立ち去りませんでした。
母がしゃがんで墓の回りを掃除しているのをじっと見ています。
そのうち男は母を手伝うように母の前にしゃがみ花瓶を触ったり、草をむしったりしながら、ちらちら母のスカートの中を覗いていました。
男は何回も母の耳元で何かを喋っているようでしたが、母が洗い場に向かうと男もついてゆき、まだしつこく何かを耳打ちしている様子でした。
やがて、とっぷり日が暮れて、もう数人しか墓地には人が居なくなった頃、母は「親戚の墓にお参りしてくるから、あんたはもう帰りなさい」と墓地の一番奥にある親戚の墓へ男と一緒に歩いていきました。
男が歩いていく途中に母の腰を抱いたので、ぼくは少し離れた墓の間を縫うようにして様子を窺いに行きました。
納骨堂の一番端から少しずつ顔を出して、母たちを伺うと、母は墓の前に立ち手を合わせて拝んでいましたが、蚊を追うようなしぐさで、何回か後ろに手を動かしていました。
外灯の明かりを頼りに目を凝らして見ました。
母の向こう側に男がしゃがんでいて、母はパンツを足元まで降ろされ、男にスカートを捲られて尻を触られていたんです。
ぼくは息が止まりそうでしたが、そのまま覗き続けました。
男は母の口に吸い付き、音を出しながらキスをし、母のおまんこを揉んでいます。
母は男に下ろされた自分のパンツでこけそうになりながら、男と一緒に墓の裏に隠れてしまい、見えなくなりました。
母が家にいるぼくを追い出すと、よくその後に男がやってきて母を車に乗せていったりしていました。
乗用車や建設会社のダンプも見たことがあります。
その日も母に届け物を頼まれ、家を出ようとしましたが、自転車で隣の家を通り過ぎた頃、見覚えのある男がバイクでこちらに向かうのが見えたので、ぼくは草の茂みに自転車を放り投げて、畑のあぜ道を通って隣の家づたいに家に近づき、土手をよじ登って自分の部屋に窓から入り、そしてベッドの下に隠れました。
男が玄関にやってきて母を呼んでいます。
ぼくはベッドから這い出て部屋の内鍵をそっと閉めて、扉の蝶番の所の隙間から玄関の様子を覗きました。
母は少し遅れて現れました。
玄関に出てきた母は、ぼくを追い出した時の服装とは全然違うものを着ていました。
白いブラウスの胸の所は両方の乳首で尖っていて、スカートは超ミニでした。
母はスカートの前をもぞもぞ手で隠していましたが、男と喋りながら、男が母の乳首をブラウス越しに指で摘んでひねると、母は顔を両手で覆いました。
母のスカートは短すぎてパンツが丸見えでした。
それでも男は母にスカートを捲り上げるように言い、母が思いっきりスカートを捲ると、男は母のパンツを下ろしました。
盲腸の傷口が見えました。
母は男にパンツを下ろされた瞬間、スカートを下ろして小声で「ひゃ~っ!」と言いました。
でも母がいくらスカートを伸ばしても、おまんこは隠れませんでした。
母のおまんこはツルツルで、ワレメがくっきり見えました。
毛を剃られた事はビデオで知っていましたが、目の前で見たので驚きました。
男は母の内股を掴んで股を広げさせ、おまんこを両手で拡げて覗き込んだりしていましたが、下から指を立てて突っ込んで、ぴちゃぴちゃ音を出しながら、母の顔とおまんこを交互に見ながら何回も何回も突き始めました。
時々おまんこを鷲掴みにして押すようにして揉むので、母は体を前後に揺らされました。
母は倒れないように片足を前後に少しずらしながら両手でスカートを捲り上げたまま立っていました。
そのうち男は堪りかねたような声を出して、いきなりぼくの部屋の取っ手をひねったので、ぼくは心臓が止まりそうでしたが、必死で息を殺してベッドの下に潜り込みました。
母と男は居間に入り、おまんこを始めました。
ソファーの上でやってるようでギシギシきしむ音とピチャッピチャッと肌が触れ合う音が規則的に聞こえていました。
やがてその音が急に速くなり母と男が一緒に声を上げるのが聞こえ、音がしなくなりました。
ぼくは玄関での情景を思いだしながら、そして居間から聞こえてくる音に耳を澄ませながら、ベッドの下に潜り込んだままでオナニーをしました。
夜は家でその男と3人で食事をしました。
男は母が出した父の浴衣を着て酒を飲みました。
母の酌で酒を飲む男の浴衣の間から、昼間、母のおまんこを散々突きまくり、精液を注いだちんぽが見えました。